hybrid-N.さんからのメール
[1] ハミングバードソフトやFM77AVのデモプログラムなどについて
私は高校在学時にクラブでプログラム電卓を知ったことがきっかけでいわゆる“マイコン”に触れ、なんとか大学には入ったものの、自分のマイコンとして買った初代FM-7を中心に、どっぷりとマイコンにのめりこみました。どれくらいのめりこんでいたかというと、ほとんどそのせいだけで一浪二留した、と言えばおわかりいただけるかと思います。
前掲以外に(管理人註*1)カシオのプログラム電卓FX-602Pでゲームを作り、工学社(I/O)の「プログラム電卓ゲーム3」に載せてもらったりしています(「2×2」というボード型対戦ゲームです)。パソコンのほうは、アルバイトで稼いだお金で念願の“マイ”コンを手に入れ、主にマシン語でユーティリティを作ったり、プロテクトを外したりして遊んでいました(当時の愛読誌はTheBASICとOh!FMです)。
(*1) hybrid-N.さんがお作りになったソフトは、「ファイアボール」以外に以下のものがあります。
- ファイル管理ソフト「F/M7」(TheBASIC掲載)
- FM77AV添付デモソフト(描画サブルーチンおよび3Dスクロールデモ)
- ハミングボール(ログイン/プログラムオリンピック3)
- RISE(ログイン/プログラムオリンピック4)
- FM-TechKnow 掲載ユーティリティプログラム(一部)
私がハミングバードソフトに入り込んだきっかけは「ロックンローラー」でした。
当時、大学3年の私はなぜかパソコンピンボールをやりたくてしょうがありませんでした。そこでちょうど発売されたFM-7で唯一まともにプレイできる「ロックンローラー」を買い、はまり込んで遊んでいたのですが、そのうち飽きたらなくなって、
・プロテクトを外す。
・ファイル化する(F-BASICから呼び出せるようにする)。
などと内部に手を出し始め、ついに何とかもう少し速くならないものかとプログラム改造を始めたのです。
当時の常識として、FM系のゲームソフトの実行速度を上げるにはサブシステム側のプログラムを最適化することがポイントでしたので、まずはサブシステムプログラムの解析を行いました。最終的にサブプログラムの全面書きなおしまで行って、ほぼ倍速にまで速度をアップさせることに成功したのです(FM-8のモードでほぼ元の速度、という意味です)。
倍速にまでなったのは、一種の偶然のようで、サブとメインのやり取りのタイミングがあるところでうまくシンクロするようになったのが最終的な要因だったみたいです(コミュニケーションルーチンを書き換えているうちに突然、劇的に速くなったので)。調子にのってサブで動くパーツのデザインも全部書き換えてしまいました。あそこまで改造したのはあれだけです。
「ロックンローラー」そのものは、ゲームとしては良くできていたと思います。だからこそ、改造にも気合が入ったのだと思っています。
次に私が考えたことは、「ロックンローラー」の作者に会うことでした。幸か不幸かハミングバードソフト(ソフト販売店です)が比較的近所にあったことから、そのソフトを、かくかくしかじかです、と持ちこんだのです。
あとから聞いた話ですが、こうした持ちこみをする人間は珍しく、逆に改造したモノを販売する人間がいて、当時問題になっていたとかで、私の場合は、奇特な例としてかなり感謝されました。本人はかなりビクビクもので店を訪れたのですが。。
残念ながら、「ロックンローラー」の作者は、開発直後にふっと消えて音信不通になったとかで、会うことはできなかったのですが、社長の今西(守)さんを始めとした、ハミングバードソフトの面々にお会いすることができたのです。
私は持ちこんだ勢いで、できればバイトなどしてみたい云々、と申し出たところ、二つ返事でOK。じつは当時ハミングバードソフトは厄介な仕事を抱え込んで、困っていたらしいのです。
厄介な仕事というのは、DAISY(管理人註*2)の添付デモソフトです。
(*2) FM77AVの開発コードネームです。
後から聞いたところでは、富士通は「FM77AV」を出すにあたり、当時評判だったPC-88系のデモソフトに対抗すべく、その開発元だった福岡のシステムソフトに依頼して断られ、その後あっちこっち持って回った挙句、ハミングバードソフトに引き受けてもらったらしいのです。そこに私がハマりにきたというわけです(確か大学の夏休みが始まったころでした)。
デモソフトの開発リーダーは、阪井末幸さんといって、半ばフリーのプログラマで、ソフトプロの社員をしていたときに内藤将棋の開発やロードランナーの移植をした人でした。
ちなみに、BNNのFM-TechKnow(管理人註*3)はこの人がシステムソフトから引き受けてきた仕事で、私のユーティリティに目をつけた阪井さんが誘いをかけてくれたのです。
(*3) BNNから発行された書籍(初版1986年9月10日)。FM-7/AVシリーズの内部を詳細に解説した、500ページ以上に及ぶ大著。
デモソフト開発については、とにかく最初から難航していました。まず動いている装置が一台しかなく(あとから増えましたが)、それもしょっちゅう暴走する始末。富士通側からは基本シナリオが来ていて、それを映像化することになっていたのですが、開発チームは学生アルバイトが主体で、課題をこなすのに四苦八苦していました。
特にスターウォーズのテロップのようにキャッチコピーが下から遠方に向かって消えていく3Dスクロールは、全員どうやって作ればよいのかさっぱりわからず、リーダーの阪井さんは、全面アニメーションで済ませてしまおうと考えていたようです(ロードランナーの同心円状に描かれるオープン/クローズは、それで作ったそうです)。
当時まだ若かった私は、この難問にゼロから取り組み、縦圧縮と横圧縮をうまく組み合わせたデモを作成することに成功しました(というほどのものではないでしょうが)。
77AVが出た後に、I/O誌に88用のプログラムとして横圧縮のみ行う擬似3Dスクロールルーチンが載ったことがあります。特にコメントはありませんでしたが、あのデモを見て、真似してみようと思ったのかもしれません(横圧縮だけではきれいに3Dしないのですが) 。後日、阪井さんがシステムソフトの担当者から、この3Dスクロールだけはどうやって実現したのかわからない、と言われたそうです(これはさすがに嬉しかった)。
私の作った部分は、描画エンジン、縦横スクロールルーチン、3Dスクロール(このコピー自体も私が考えました。^_^;)、それに店員モードなどです。店員モードというのは、デモ中に何かのキーを押すと、FM77AVがリアルタイムキースキャンをサポートしたことがわかる簡単な操作デモが立ち上がるようにしたもので、これも富士通側からリクエストがあったものです。
なお、最後に出てくる実画像をキャプチャしたものや、レイトレーシングでロボットを描いたものの組み合わせは富士通自身からの提供です。特にアナログパレットを高速に書き換えるプログラムは、装置開発者自身によるもので、書きこみタイミングを自分で作って、画面のノイズが出るぎりぎりのところで書きこむという開発者にしか作れないプログラムでした(FM-TechKnowに載ったと思いますが)。
さて、そうこうしてどうにかデモソフトは完成にこぎつけたものの、私は単位を落としまくり、気がつくと二回目の留年が確定していました^.^;;
このとき考えたのは、ここまで来たならどうせ時間があるので、何か自分を説明のできるような大作を作ろうではないか、ということです。
そこで思いついたのが、ピンボールの3D表示化です。
当時、誰もそんなことは実現していませんでしたし、私も本当にできるかどうか、自信はありませんでした。ただ、FM77AVの能力を持ってすれば、なんとか実現できるのではないかという根拠のない予想があり、また実際にできれば世間をあっと言わせられるだろうという思惑があって、ぜひやってみようと思ったわけです。
そこでハミングバードソフトの今西さんに、そういうことなので、協力してもらえないか、と依頼したところ、快く賛同を得られ、私は機材を借りてシコシコと検証プログラムから作り始めるのですが、この後のことはまた別途お話することにしましょう。ここでは首尾よく自分の就職の際にかなりの効果があったことだけを書いておきます。
阪井さんと言えば、システムソフトがらみでもう一つお仕事の紹介がありました。大戦略FMの開発(移植)です。
これは最初私に話があったのですが、モノがSWGということで、私の大学の友人に振りました。彼はウォーゲームの戦略には圧倒的な強さを持っており、大戦略については98版のコンピュータ側の弱さをしきりと指摘していたことから大戦略FMの話が来たときにすぐさま推薦したのです。
彼(山村佳孝といいます)はソフト開発についてはまだあまり経験がありませんでしたが、友人二人といっしょに勉強がてら取り組み、なんとか成功したようで、紹介した私としてもホッとした憶えがあります。
というわけで大戦略FMは、大戦略シリーズの中でも異色のものとなっており(グラフィックと外部仕様のみしか流用せず、殆ど一からの開発品)、特に思考ルーチンは本人曰くシリーズ最強とのことです(ちなみに最初のタイトル画面展開ルーチンのみ私が作成しています)。
また上記の大戦略FMに参加した人物(北村達也といいます)はその後BPSからテトリスの移植を引き受けて苦労したと聞きます(富士通の電脳なんたら(管理人註*4)に出品するまではよかったものの、ハングアップするバグが取りきれず、現地まで張り付きに行ったとか)。
(*4) 1989年に開催された「富士通プレゼンテーション 電脳遊園地」だと思われます。
この他の裏話として、ソーサリアンの移植をしそこなったというエピソードもあります。詳しい事情は省きますが、そのころ既に私は大学の本業に身を入れ始めていたので、結局、オープニング、音楽演奏、キャラ設定の各ルーチンを完成させたところでabortせざるを得ませんでした。もはや15年も前の話ということで、ご容赦いただきたいと思いますが、音のほうは77AVハードのおかげで88SRより遥かに良く、今から思えばもったいないことをしたかもしれません。